音楽家のジストニアと診断され治療が始まって10年が経った。
当初からリハビリの内容や服薬に関して、ボツリヌス菌投与、その時その時の気持ちなどを
日記として残している。何故そうしたのか.......。
それは、残すことで、これから立ち向かっていかなければならない大きな壁に真っ向勝負に挑む覚悟が出来るような気がしたからだ。
見直してみると、音楽から離れていた時期も(復帰は出来なくても、趣味でピアノが弾けたら、人生も少しでも明るく生きられるかと思ったのだろう)
リハビリ日記をつけ続けていたようだ。このころのことはあまり覚えていない。
2012年「Musician’s Dystonia」という文献を目にするまで、私自身もその難病について知識どころか病名も聞いたことがなかった。
(Musician’s Dystonia の専門医以外の)医師にしても、「ジストニア」は一応勉強して知っていても「音楽家のジストニア」について正しく理解しているなど皆無だった。
一時期、リハビリと服薬、ボツリヌス菌投与などの治療によりだいぶ良い方向に進んではいたものの、
2015年後半には、自分の手と向き合い十分にリハビリに集中できる環境も維持できず、苦しい思いで演奏も講師も全て諦めざるを得ない状況に追い込まれていた。
その頃(一時期)私は鍵盤の上に手を置くことだけに対しても恐怖を覚えていた。
これを今、もし読んで下さっている方がいるとしたら、きっと音楽に関わる仕事をしている人、現在Musician's Dystoniaと闘っている人、
そうかもしれないと不安を抱えている人、身近にMusician Dystonia に疾患している人がいる、そんな方たちなんだろうと思う。
身近に今この難病と闘っている人がいる方たち、こういった方にも一番Musician's Dystoniaのことを理解してもらいたいと願っている。
何故ならば、周りの人達の正しい理解があれば、正しく分かってくれる人がたった一人だとしても、それだけで救われるからです。
LIVE復帰を決心した2018年春頃には、70~75%は回復していたと判断しています。
復帰してから後退しているかもしれないという不安な時期もありましたが、
今回、リハビリ日記の最終章として記録しておこうと思ったのは、完治は難しいと言われているMusician's Dystoniaは、 もしかしたら完治もあり得るかもしれないという希望が生まれたからです。 気持ちとしては「完治を目指し」を心掛けてはきましたが、もしかしたらそれが本当に現実となるかもしれない。 それは、コロナ禍に入り、私は幾度となく演奏中の手を左右から撮られる機会があり、それにより、客観的に自分の症状を見ることが出来、 私のリハビリでのポイントをその時その時で変更することにより、更に改善することが出来たのです。 ........................................................................................ まずは誤解のないようこの疾患について記しますが、もちろん良くご存知の方はここはスルーして下さい。 Dystoniaジストニアとは、意志によらない自分では制御できない運動(不随意運動)の一つで、例えば足のジストニアでは歩行障害や転倒の原因となり、 体幹のジストニアでは捻じれ(捻転ジストニア)、首が右(左)向いたまま戻らない、首が勝手に動いてしまう、 など日常生活が非常に妨げられます。脳からの指令・伝達がうまくいかないのです。日常生活に多大な支障があるため、もちろん国が認める指定難病です。 ところが「音楽家のジストニアMusician’s Dystonia」とは、日常生活には何の支障もない、ただ専門の楽器を弾くときにだけ、 自分の意志と関係なく思いも寄らない指の動きをし始めるのです。 楽器を弾くときだけ、脳から指先への伝達が上手くいかなくなる、これが「Musician's Dystonia」です。 ピアニストや弦楽器奏者の手・指の場合は、筋肉や腱、関節などから、手の位置や動作に関する情報を得やすいけれど、 管楽器奏者の(指の動きも単純ではないでしょうが)アンブシュアはより複雑です。 アンブシュアの震え、唇のひきつれ、唇の閉鎖、舌の動きがぎこちなくなったり、中には顔面の上部や下部の不随意運動もあるようです(例えば演奏中、片目をどうしても閉じてしまうなど)。顔の場合には皮膚からの触覚情報しか得られない。 普段の生活では何の異常もなく、演奏するときにだけ、こういった症状が現れるのです。 軽症から重症まで様々ですが、日常生活には何の支障もないため、難病ではありながら国が認める指定難病ではない。 よって診察、リハビリの指導、薬以外の国で認められていない治療法は保険適用外となります。 音楽家にとって音楽が出来なくなることがどんなことなのか理解してくれ、と国に訴えることも空しいことだと分かっていました。 何しろ日常生活には何の支障もなく、脳神経回路の問題のため痛みもないんです。余計に「この症状はいったい何なんだ!」という思いは増します。 非常に分かりにくい病態であるため、専門医の診断が必要な疾患群です。 目に映る自分の手の動きの異常は、自分の身に何が起こっているのか、とても信じられるような状態ではなく、 弾き方が悪いとか、練習不足だとか、筋肉の弛緩について意識し直すとか、そんなことではない、これは何か難病みたいなものなのではないかと、 私は比較的早い時期に感じ、病院をたらい回しにされることなく、たまたま寄った楽器店にあった刊行されたばかりの書物「Musician's Dystonia」によって、 早い時期に専門医を探すことに集中できました。 その文献に掲載されているジストニア患者のピアニストの鍵盤上の手の写真は、私の症状そのものだったからです。 ただそれでも専門医にたどり着いた頃には、今まで感じたことのない違和感、何なんだろうこのアンバランスな状態は?と感じ始めてから、 10か月ほど経っていたかと思う。 それから復帰するまでと復帰してからの大まかなリハビリ方法については、リハビリ日記「2012年からを振り返り」に記しています。 現在治療中の方の参考にでもなれば幸いです。 ↓
............................................................................................. 以後、Musician's Dysutonia をジストニアと記します。 演奏中、1. 不随意でコントロール不能な過度の屈曲のある指が一本から、 2. その症状を改善しようとして他の数本の指にも二次的な異常動作が現れてきたり、 3. とうとう筋緊張が手全体に広がり、そうなると完全にコントロール不能です。 私は、ジストニアと診断されたときは 2.の状態でした。 右手親指以外の4本が不随意運動を起こしていました。 今強く思うのは、2012年には、世界中にジストニアを長年研究されてきた医師が少なからず存在していたということ、 日本でも数名の専門医の存在を知ることができ、私は救われました。 「Musician's Dystonia」という文献が初めて翻訳されて発行されたのは2012年8月31日であり、 私がこの本を楽器店で目にしたのは、幸運にもその翌月だったと記憶しています。 もし私がジストニアに疾患したのがもっと前だったら、パソコンもない時代で、誰にも分かってもらえず、一体全体どうしていたんだろうと思うと、 より胸が苦しくなります。 ピアニスト : レオン・フライシャー氏は1981年に発行された「ニューヨークタイムズ」紙のインタビューで、 「1963年、36歳の時に左手の薬指と小指が何故か内側に曲がったままになってしまうことに気づいた。 改善しようとする努力も空しく悪化の一途をたどり、ついには演奏家としてのキャリアを諦めざるをえなくなった。 何年もの間アメリカでも最高水準の医師のもとを訪ね歩いたが、原因が分からず治療もできなかった。 ピアノを弾いているときだけにしか症状が現れないことから、身体的な問題であることを疑う医師もいた。」 と語っています。 フライシャー氏は、さぁこれからだという36歳で疾患し、確かリハビリと二度のボツリヌス菌投与の治療により改善されたと記憶しています。 80歳過ぎて復帰リサイタルをされています。 フライシャー氏復帰後の、ジストニアで苦しんでいる音楽家たちに向けての「希望を捨てないで......私がそうでしたから」という言葉は、当時沁みました。 しかし、どうにもならず転職せざるを得なかった人たちもたくさんいることも心に刻みました。 ジストニアは脳に問題があるのだけれど、脳に病変は存在しない。(従って当然ですがMRIでは何の異常もありません) 楽器の演奏には非常に複雑な神経の流れが入り組んでおり、長期間・長時間の演奏を続けた結果、脳が持てる力を最大限に発揮し続けて、 極限状態にさらされてきたという特殊な状況において、いくつかの間違いが脳に取り込まれ、このような症状となって現れるのだと文献には書かれていますし、 説明も受けてきました。 しかし音楽家は皆同じような状況にさらされてる訳で、そんな中でも疾患しない人は疾患しない。 では何故私は疾患したのか? .................................................................................. 医師の指導の下、一貫して続けてきたのは、以前と同じように弾こうとするのではなく、 新しい神経回路を作っていく意識を持って取り組む楽器を使ってのリハビリでした。 ジストニアの原因もまだはっきりと明確にはされていませんが、膨大な統計資料からは、 長期間・長時間の練習に加えて、練習時間を突然増やした、音楽家としてのストレス、技術的変更、奏法を変えた、リハーサルの習慣の変更、個人的なストレス、 等などが挙げられていますが、私の中で思い当たる節がありました。 それは、ある音色・表現を目指し、別の奏法に取り組んでいたこと、もっと正確に言えば、今までの奏法と取り組もうとしている新しい奏法を使い分けることは出来ないものかと考えていたのです。 それが一番大きな要因ではないかと、当時のことを振り返る。 そりゃぁ、私の脳ではパニック起こすよなって.......。 今回、改めて書き記しておきたいと思ったのは、前述したようにコロナ禍にあったからこそ得た機会により、70~75%治癒していたと思われていた症状は、 80~85%にまで上がった感触があり、そのことについて残したかったからです。 完治は難しいと言われている「Musician's Dystonia」(以下dystoniaと記す)は、10年の時を経て、決してそうではない、 90%あるいは完治も夢ではないと思えたからです。 ................................................................. 復帰してからの、実際に演奏している時の指の状態(脳からの指令)は、日によって調子は良かったり悪かったりで、 やはり自宅でのリハビリの調子とはある程度の違いがあるのを痛感していました。 実際に人前で演奏することは、クラシック音楽のように楽譜になっているものを披露するのとは違って、 良い方にも悪い方にも働く可能性があると考えます。 ただ疾患したら楽器を全くやらなかったら治るというものではないため、人前で演奏することを中断したとしても、 リハビリは続けなければ永遠に治らない。 悪くても70%、良い時は75%と復帰直後からあまり変わらなかった症状が、コロナ禍がきっかけで、 そして更にコロナ禍だからこそ存在したある映像を見た日から徐々に、 そして今年に入って大きな進歩と更に良くなるであろう先が見えたのです。 コロナ禍に始まった数々の配信映像(演奏中の右手)を見て、とても変な指の動きをしている瞬間があることに ショックを受けることも多く、こんなではそれは弾きづらいはずだと改めて思いました。 しかしそれと同時に、これはもっと改善できると、逆に希望も湧いてきました。 この2年間の配信データの中で、右手の不自然な指の動きを捉えている部分の音型・フレーズを全て譜面に書き出しリハビリに使用しました。 さすがにその書き出した箇所は、私が出したい音色ではないし、音がかすれたりミスしたり、ニュアンスも変だったり、 一番はレガートで表現したい部分がそうできていない。 ここで音を入れたいと思っていても、随分タイミング早く指が勝手に鍵盤に下りていたり。 実際の演奏の中での、不随意運動をするときの音型を全て書き出しました。2年分です。 この音型で、症状が現れないように工夫してのリハビリを試みました。 実践ではっきりした音型ですから有効的な筈です。 滅多にあることではない奇跡の例ですが、ジストニア患者がピアノを弾き始めたら、ある日突然治っていたということもあったようです。 様子を見ていた奥さんが「あなた!治ってるじゃない!」と言ったそうだ。 前日に、ロダンの手の彫刻の写真を見たことが、ジストニア患者の脳に何らかの刺激を与え、回路が正常に流れ出したのではないかということでしたが、 その話を思い出させるような出来事が私にも起こったのです。 嘘のようなほんとの話です。 あるジャズ・ピアニストの演奏動画をたまたま見た時、(翌日に完全に治っていたということではなく) 「昔の自分の手のフォームを思い出した」「私はこうやって弾いていた」 という思いが押し寄せてきました。手の甲の内側の空間の感じ、第一関節から指が伸びている感じ(視覚的なもの)、 横から見た小指側の第一関節が曲がっている角度、まるで喪失していた記憶を取り戻したかのようでした。 今までもリハビリで意識するポイントをその時々で変えたり工夫してきましたが、 今回のポイントを意識してのリハビリは、もう一年続けています。すると打鍵の位置まで昔を思い出したような感覚です。 音色も変わってきました。レガートもできるように。タッチを変えることも思い出したようです。 やっと今80~85%治癒したのではないかと思う。 そして90%も完治も夢ではないと確信しています。 私は脳外科手術も二度目のボツリヌス菌投与も選択せず、楽器を使ってのリハビリを続けてきました。 ジストニアのリハビリは、「以前のように弾こうとするのではなく、新しい神経回路を作る意識で」と、どの文献にもあるようにそう意識してきました。 でも今私には一つの疑問が湧いてきました。 「以前のように弾こうとするのではなく」とは言っても、まずこれはやろうとしても出来ないのです。どうやって弾いていたか分からないのですから。 それに、私のように奏法を変えようとしていてジストニアに疾患した場合、単純に元の奏法に戻すことが治癒への近道なのではないかと今は思えるのです。 しかし、この場合も元の奏法を思い出せないので、考え方として新しい神経回路を作っていく意識で、とされているのだろうか? それとも、ジストニアにも軽症から重症まで様々であるため、例えば軽症の患者は以前の弾き方を覚えていたりするものなのだろうか? 数年前、医師に「自分である程度治癒したなと思った時、ジストニアについての感想文を提出してください。どんなことでもいいんですよ。」と言われ、 「はい」と答えた。その約束をやっと果たせるかもしれないと思う昨今です。 ...................................................................................... 最後に不思議エピソードを少々。 ジストニアに疾患して、いつの頃からか、映像でのVladimir Horowitsの右手、Chick Coreaの右手、Lang Langの左手を見ると、 気持ち悪くなる現象(笑)。私が見たロダンの手の場合と同じだ。 リハビリの一つに、ミラーイメージ方というのがあるのですが、 最初は有効的だったにも関わらず、ある時から突然気持ち悪くなる現象。 吐き気を催すほどの気持ち悪さです。 何故だか分かりません、私の脳に聞きたいくらいです。 最後に、更に一歩前へ進むきっかけになった、何十回にも及ぶ、横濱エアジンでの映像(手の左右から、特に右側からの映像)、 新子安しぇりるでの映像(右手を左サイドから)が、私の不可思議な指・手の動きを捉えてくれたこと、もうそれはありがたいの一言です。 細かく分析することができました。 そして、ご本人に連絡を取って許可を頂いた訳ではありませんので、お名前はここでは伏せさせていただきますが、 同じく更なる進歩に強烈な刺激をいただいたピアニスト、私が音大を卒業して最初にライブで聴かせていただいた、尊敬する先輩ジャズ・ピアニストでもありますが、 感謝するのも変な話かもしれませんが、感謝しかないのです。 また、その映像もコロナ禍にあってこその映像でした。 現在の自分の手の症状によっての、映像からの情報を脳に取り込む「タイミング」を逃さず、 また新たにリハビリ内容に非常に有効的な変化をつけることが出来たのだと思います。 今年春頃から書き記していたものを、まとめることができて、私自身の手の状態と共にホッとしています。 そして何より、疾患されている方には「希望を捨てないで進んでいってほしい」と切に願います。
小林洋子
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